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カテゴリー「Good Old Days」の35件の記事

2017年10月 6日 (金)

ニューヨークに行きたいか~!

こんにちは。
冷たい雨が降っています。
 
 
 
 

1977年から1992年まで毎年10月末になると
日テレの木曜スペシャル枠で放送されていた
この番組。

「アメリカ横断ウルトラクイズ」

番組を見るたびに熱くなっていました。

毎回見ていました。と言いたいところですが、
残念ながら1983年からはTV環境にないこともあり、
しばらく見ていないです。

それでも本として出版されたり、
ゲームソフトで発売されたりしたものは
購入していました。

一番熱をあげたのは
高校時代。
年齢制限により出場できない年齢の時でありました。
(高校生は不可でした)
仕方ないので、
友だちと本から出題し合い
各チェックポイントを想像しながら
遊んでいました。
そして、
大学生になったら絶対出場してやると
誓っていたものでした。

この頃、日本には大自然と呼べるものががないと
思っていて、海外旅行(とりわけアメリカ)に行きたくて
仕方ない時期でもありました。

番組で紹介される
アメリカの大地は
どこまでもまっすぐで
そんな景色を見てみたい。
その憧れはいまだありますが、
外国に飛び立つには
まず日本を知らないと。
と思い、
日本の良さにも気付いて
今に至る感じです。

しかし、一度は応募して
要綱を取り寄せたことがあったんです。
(21の頃だったかなあ)

理由はパスポートをとる時間がなかったということなのですが、
第1チェックポイントの場所にも行けず
私の夢もそこで途切れました。

「知力体力時の運」とは番組でよく言っていましたが
その前にパスポートをとる気力が足りませんでしたw

覚えているのはその年の放映で
第1問を外しているので
どちらにしろ行けなかったことでしょうw

それでもいつか、地平から昇る太陽を見て
涙してみたいものであります。
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2017年10月 5日 (木)

なりたかったもの

こんにちは。

今日、生徒に
「先生になっていなかったら何になっていたか」
を聞かれました。

何か面白いことを
言おうかなと
記憶を手繰ると
一番古い記憶にそれはありました。
(とはいえ、自分では覚えていないので
そう言っていたというのをたぶん親から聞いて覚えているだけですが)

その職業は
「チンドン屋さん」
たぶん幼い頃に見て面白そうだと思ったのでしょう。
ところで「チンドン屋さん」って分かりますか?

昔は秩父でも見かけることがあったのですが、
実際に今も生業としている方は減っているのでしょうね。
久しく見ていません。
時代劇のような扮装で太鼓や鐘を鳴らしながら
口上などを述べるいわば広告代理業です。
そういえばアドバルーンも見かけなくなりましたね。

生徒にそれを答えると
やはりきょとんとして
どんなものかは分からなかったようですね。

代わりに近くで弁当を食べていらっしゃった
おばさんが吹き出していました。
(お食事中、ゴメンナサイ。あ、校外実習中なんです)

それから高校3年で教職を選ぶまでに
紆余曲折を経ましたが、
並べてみるとその節操のなさが
笑えたかもしれません。

パン屋
ロボット博士
本屋
速記士
警察犬訓練士
弁護士
NASA

なんか理系なんだか文系なんだか
訳が分かりません。
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2017年9月15日 (金)

田舎者の少年2人、初めて新宿に行く

こんにちは。
久しぶりに3連休のありがたさを
思い知りそうです。
 
 
 
 

それは中学2年の夏のことでした。
夏休みの宿題に洋書のリストの中から
1冊を選び、和訳しなさいという
課題が出ました。

当時、洋書などどこに売っているものなのか分からず
新宿の紀伊国屋書店に友だちと行くことにしました。
もちろん親以外の者と東京に行くのは初めてのことでした。

この時に選んだのはアイザックアシモフの
「私はロボット」だったと思います。
最初の数ページだけをみょうちきりんな和訳をして
お茶を濁しました。

せっかく東京に行くのだからと
映画を見ることにしていました。
(実は秩父市に当時映画館はありませんでした・・・今もないけどw)

書店で用を済ませた後、
腹ごしらえをしようと入ったのが
やはり、初めてのマクドナルド。
ハンバーガーを食べましたが、
ピクルスはどうしても食べられませんでした。

観たかった映画は
「さらば宇宙戦艦ヤマト」でした。
しかし、どこをどう歩いても映画館らしきものは
見当たりません。

あまりきょろきょろすると
田舎者がばれてしまうとしっかりインプットしていたので
あまり周りを見なかったからかもしれませんし、
人混みに圧倒されて周りが見えなかったせいかもしれません。
たぶん両方でしょう。

用意周到な友だちは地図を用意していました。
でも地図を広げるなどということはできるはずはありません。
一発で田舎者とばれてしまいますw

おまけに「歌舞伎町は恐ろしいところだ」という
知識はもっていました。
でも気がつけば少し離れたところに歌舞伎町の文字が見えました。
「怖いところ」なら怖いもの見たさで近づいたかもしれません。
しかし「恐ろしいところ」には近づきたくはない中2ですw

「こりゃアブナイ!何とかして地図で確認しなければ!」
ととった行動はトイレに入って(個室)地図を見るという暴挙でした。
別の意味で危なかったかもしれませんw
それよりもなんだか情けなかったです。

やっと映画館の場所を確認すると
楽しみだった「ヤマト」を観ることはできました。

こうして少年2人には東京はおっかないところという
トラウマが残りました。
もしかすると社会勉強をして来いという
先生のたくらみだったのかもしれませんが。
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2017年9月 7日 (木)

ニューグンイチのパン

こんにちは。
本日より「白露」となり
初候は「草露白(くさのつゆしろし)」です。
思い立って、子どもたちに見せようと
花を摘んだ綿花も
露をたたえておりました。
 
 
 
 

それはまだ秩父市にキンカ堂があった頃のお話。
ボーリングブームに乗って
秩父にもボーリング場がありましたが、
それも下火となりその跡地が
キンカ堂になったと記憶しています。
(B館だったかな)
大都会を知らなかった子どもは
キンカ堂をしっかりデパートだと思い込んでいましたが、
どうもスーパーだったみたいですね。
たぶん、2階以上の売り場がある店はデパートという認識。
そういう意味では(キンカ堂、宝屋、矢尾)と
秩父には3つのデパートらしき店があったことになります。
(現在もあるのは矢尾のみ)

そのキンカ堂、A館の前(敷地内)に
「ニューグンイチ」というパン屋がありました。
キンカ堂に買い物についていくと
よくこの店でパンを買ってもらいました。

店の中にある
包装されていないパンを
トングでトレーに取り
いくらでも好きな物を選べる
というシステムに出会った最初の店でもあります。

私の気に入りは
うぐいす餡が(結構豆の形が残っていたと記憶していますが)
挟まった三角のペストリーでした。

それまで、バターのきいたパンといえば、
家でポンとトースターから飛び出す
バターを塗ったトーストでしたが、
甘いものとバターがこれほど合うとは。
ペストリーはいっぺんで大好物となりました。

今でも豆パンを見かけると
懐かしい気持ちがこみ上げてきます。

さて、キンカ堂はなくなって久しいと思いますが、
ニューグンイチはまだ存在するようですね。
先ほど調べて知ったのですが、
「ニューグンイチ」の「グン」は
群馬の「グン」。

以前このブログでも紹介した
「焼きまんじゅう」
(みそまんじゅうと紹介していました。正しくは焼きまんじゅうです)
など、群馬のものは秩父に入りやすいようです。

歴史を紐解くと
秩父地方は一時、群馬県だったのも
頷ける話です。

しかし、あんなに美味しいのに
うぐいす豆のペストリーには
なかなか再会できずにいます。
今も「ニューグンイチ」のラインナップに
あるのでしょうか。
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2017年9月 3日 (日)

トンボの話

こんにちは。
あ、ゴメンナサイ。
9月から更新時間を遅くしております。
(休日、平日問わず)
目標は午後7時までの更新ですが、
どうなりますやら。
 
 
 
 

大人になってからとんと赤トンボを見ていませんでしたが、
つい最近近くの公園で見かけました。
多分赤トンボといってもいろいろ種類がありそうですが、
子どもの頃に見た赤トンボはもっと赤かったように思います。

このころ住んでいた家の周りにはそれはもう
真っ赤な赤トンボが群れをなして飛んでいました。

田舎の子どもは夏が始まると虫取り網を買ってもらえますが、
山で川で網を振るっているうちに壊れ
赤トンボの頃には網はもう形すらありません。
(川で何か捕まえるようなことをするとたちまち網は破れていました)

捕まえて何をするわけでもないのに
赤トンボは捕まえたくなりました。
しかし、網はもうない。
で、何を使ったか。

それはバドミントンのラケットでした。
バドミントンのラケットをやみくもに
振り回しては赤トンボを捕まえていました。
捕まえては放し、捕まえては放し・・・。
トンボにはいい迷惑でしたね。
時々は捕まえたトンボを糸で結んで飛ばすなんてこともしていましたが。
(もっと迷惑w)

さて、時は移り。
現場は近くにガソリンスタンドがなく、
ガソリンの残量が少なくなるとヒヤヒヤしながら
帰っています。
そんな残量が少なかった
ある日のこと、ガソリンスタンドまでぎりぎりで
もってくれたのはよかったのですが、
なんだかガソリンスタンドの兄ちゃんが
私の車の前に数人集まって話をしています。

「なんだろう?まさか、とんでもない不具合が見つかったとか・・・」
(以前、ヘッドランプが切れていたのを(片方)知らずに走っていて
ガソリンスタンドで教えてもらったことがありました)

車から降りて(その頃はフルサービスの店を使っていました)
「どうしたんですか?」と聞くと
「これが挟まっていたんです」と
手にしたものを見せてくれました。
それがトンボ。

とても大きなトンボで恐らくはオニヤンマ。
ガソリンスタンドの兄ちゃんたちは
そんな大きいトンボ見たことないと騒いでいました。
(私にしてみれば見たことない方が違和感ありあり)

しかし、どうしてボンネットになんか挟まっちゃったかね。
とにかく、ボンネットに挟まっちゃうくらい
たくさんの大きなトンボが現場には飛んでいるのです。
(いや、こんなことは一度きりでしたが)
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※いろいろお騒がせな「画像はイメージです」です

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2017年8月28日 (月)

あだ名

こんにちは。
本日より「処暑」の次候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」の頃です。
ちょっと信じられませんがw
 
 
 
 

小学生の頃、ごく短い時期ではありましたが
「クレクレタコラ」というあだ名がつきました。
何となくではありますが主題歌は覚えているので
見ていたのだと思います。

何でも欲しがるタコラが主人公の番組で
毎回何かを欲しがり
それをゲットしようと
あれこれ手を尽くすのですが、
(そのほとんどが力ずく)
失敗に終わってしまう。
というのがお決まりのストーリー。

思い出したらちょっと懐かしくなって
YouTubeで見てみました。
「これはアカンやつですな」
今だったら放送禁止の憂き目にあうこと間違いなしな
内容でした。

見ていたはずなのですが
一つもストーリーを覚えているものはなく、
(5分という短い番組だったせいもあるかな)
タコラというあだ名をつけられて
憤慨して見なくなったのか。

そもそも、そんなに何かを欲しがったっけか?
なんでそんなあだ名がついたのか
疑問であります。

自分が何かを欲しがったかどうかは棚に上げて、
母に「うちはうち、よそはよそ」という
なんだか豆まきのようなことを言われたのは覚えているので、
やはり欲しがっていたのかもしれません。

最近ではさすがに衝動買いをすることは
少なくなりました。
「よく考えてから買いなさい」の
教えに従って
よく考えてから買うことにしています。

でも、よく考えれば考えるほど
欲しくなり、結局は買うことになる。

これがあったら、こんなことやあんなこともできる・・・。
もはや、購入することでのプラス面しか
頭に浮かばなくなります。

こんな物欲まみれだから、
あのあだ名は適切だったのかもと
苦笑しながらも、納得している次第であります。
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2017年8月19日 (土)

初めて泳いだ場所

こんにちは。
来週は天気になるのでしょうか?

 
 
 
 

倉庫片付けのついでに懐かしいものが出てきた。
幼少の頃の写真である。
(こういうものが出てくるから片付けがはかどらないw)
恐らく夏の写真であろう。
パンツ一丁だからw
川で水遊びをしている写真である。

懐かしいとはいったが、
この時のことは覚えていない。
裏には4歳時と書かれている。
しかし、この場所には覚えがある。
秩父市の浦山である。
(荒川上流の支流浦山川・今はキャンプ場になっている)
今、その場所が泳げるのかどうかは知らないが、
当時は川を少しせき止めて
ちょっと泳げる場所になっていた。

運動音痴な私だが、泳げるようになったのは
割と早めだった。
小学校2年の時と覚えている。
(今の子どもはスイミングスクールもあるからもっと早いのでしょうか)
やはり浦山の川だった。
水の中で体をうねうねさせて
気がついたら泳げるようになっていた。

昔はプールといえば学校くらいにしかなかったし、
(プール解放なんてのはなかった)
秩父地方の子どもは恐らく川で泳いでいたと思う。

もっぱら川底を覗くのが好きだったから、
潜水ばかりが得意になって、
学校のプールの授業では息継ぎがネックになった。

埼玉県は海なし県なので、
初めて海で泳いだ時には
(柏崎・番神浜(新潟県)だった)
体が軽く感じたのと、
目を開けては潜れないことを知った。

そうだな、泳げない友だちはあまりいなかった。
泳ぎは学校ではなく、川が教えてくれた。

蛇足だが、自転車に乗れるようになったのは
とてつもなく遅かった。
(小学校5年)
しかも、3歳下の妹に乗り方を教わったという
情けない兄であった><
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出てきた写真は自粛w代わりにこちらを
 
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2017年7月25日 (火)

小学生の労働とその対価

こんにちは。
今年初のトウモロコシを食べました。
最近のトウモロコシは
ハズレがありませんね。
 
 
 
 

以前にも触れたことがありましたが、
母は学研のおばちゃんでした。
そして私は積極的に
手伝いをしました。
「学習」と「科学」は1冊配達すると
うん十円という出来高制でした。
(ワークシートはもうちょっと高かったように覚えています)
そして配達を手伝うと
配達した分を丸々報酬として
私にくれました。

私はそれが嬉しくて、
月に一度のこの労働を心待ちにしていたものです。
そこで私は目標を立てました。
お金を貯めてやはり学研の「電子ブロック」を
買うというものです。
確か1万円くらいしたはずです。
一生懸命手伝いをして
その報酬とお年玉を合わせて
「電子ブロック」を買うことができました。

しかし、対価はそれだけではなかったのです。
それまで人見知りで引っ込み思案な性格の子どもだったのですが、
この「配達」という労働で他人と接し、
社交性を身に着けることができたと思っています。

また、子どもたちの間でも
ちょっとしたステータスのように扱われ、
人気者とはいかないまでも
配達エリアでは
名前と顔を知られる存在となりました。

これが母の目論見だったのかどうか
今となっては分かりませんが、
私の人生にプラスになったことは確かなようです。

それにしても当時の「学習」と「科学」
(とくに「科学」の方)の
付録はとても魅力的でした。
家が学研のおばちゃんをしていると
全学年の付録を見ることができます。
(商品なので自分の学年以外の付録は見るだけですが)
今でもシーモンキーや
水質調査などの付録を覚えています。

もう「学習」と「科学」も廃刊になって久しいですが、
今でも書店で「大人の科学」を見かけたりすると
あの頃のワクワク感ががふっと蘇ってくるのです。
これもあの頃の対価なんですかね^^
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いくら何でもこんなクラシックな自転車ではなかったか・・・

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2017年7月15日 (土)

笑っちゃうようなスイカの話

こんにちは。
猛暑日・・・。
 
 
 
 

スイカはどちらかというと
苦手です。
味的には好きなんですが、
どうもあの種を口から出す時に
手間取っていつの間にやら冷た~いスイカが
ぬくくなってしまい
やはり冷たいのがウリのスイカを
冷たいままの喉越しを味わえない不満からでした。

種のある果物はたいていそうです。
サクランボ、ブドウなどなど。
ま、いちごも種がついているといえば
そうなんですが、
アレを一つ一つ出して食べる人はいませんわな。
だからイチゴは大好物です。

ミカンは時々種があります。
ミカンの種はなぜか出しやすい。
果肉がつぶつぶだからでしょうか。
でも油断していると飲んでしまうことがあって、
その後は本気でへそから芽が出てこないか心配したものです。(遠い目)

だいぶ脱線してしまいました。
スイカの話、スイカの話っと。

そんな訳で一人暮らし時代は
スイカはほとんど食べませんでした。
(今はシーズンに何度かは食べます)
でも、もしかしたら、この事件があったからかもです。

それは夏の昼下がり、
兄妹、二人で掃き出し窓の
そばに座りスイカを食べておりました。
なぜか妹は、山口百恵さんのLPを
かけながら。

忘れもしません、真っ赤なプラスチックでできた
レコードプレーヤーでした。

兄はたぶんスイカの種が口に入る前に
出してしまおうと考えたに違いありません。
持っているスイカを割って
見えるところにある種を
取ってしまおうと考えたに違いありません。

ぱかっ。
勢いよくスイカは割れました。
しかし、食べかけのスイカは
よく滑るのです。
2つにわかれたうちの一つが重力に素直に従いました。
その先が・・・。

レコードプレーヤーの針の上、どストライクです。
当然レコードには穴が開きました。
烈火のごとく怒る妹。
「ごめんよー><」

山口百恵さんのそのLPの曲を
聴くたびに1か所だけブツっと
なるたびにスイカのことを思い出すのでした。

そんな訳で、私はスイカに畏怖の念をもっていたのかもしれません。
今では笑い話になっているのですが。
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2017年7月14日 (金)

考えて考えた末の夏休み自由研究

こんにちは。
梅雨前線、どこに行く~?
 
 
 
 
 

自由なことは難しい。
何をすればいいのか頭を悩ませることになる。
子どもの頃の自由研究の話である。
できれば誰もやったことの無いような
ことがいい。
で、できればそんなに手間がかからないものがいいw

しかし、結局選んだテーマは偉く手のかかるものだった・・・。

鉄っちゃんではなかったと思っていますが、
一時期、駅名に興味をもった時期がありました。
そこで選んだテーマは
「日本の駅名で一番使われている漢字は何か」
というものであります。
今ならば、(やろうとは思わないが)PCを駆使すれば、
もっと簡単になっているはずです。
しかし、
当時、そのようなものはなく、
ノートに書き出して
「正」の字を書いていくという
作業を延々行おうとしていたわけです。

時刻表の路線図を傍らに置いて、
一つずつ駅をチェックしていきました。
宗谷本線からだったか、
根室本線からだったか。
今でもやたらと「別」とか「内」とかが
多かったのを覚えています。
漢字も出てきた順番に並べているだけだったので
「あれ?この漢字前にも出てこなかったっけか」
となり、探すのも一苦労でした。

しかし、この研究。
8月の終わりごろになっても、
北海道を出ませんでした。

きっと、飽きたものと思われます。
研究としては非常にしょぼい適当なものを提出したと
思われます。

それにしても、北海道の路線図。
当時と比べるとずいぶんと
すっきりしてしまいました。
当時行ったわけでもないのに「幸福」駅などという
駅名を見つけて
訳もなくワクワクしていましたが、
もう鉄道駅としてはないのですね。

今なら「正」の字でもできるかもしれない。
漢字を五十音順にでも並べて
エクセルを使って・・・。
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